グローバリゼーションとあいさつ病 前編

グローバリゼーションという言葉は我々の身近な言葉になった。
意味は大体こんな内容だ。
社会的あるいは経済的な連関が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を惹き起こす現象。

例えば、中東紛争と石油価格の上昇は良い例だと思う。
中東情勢が悪化すると石油価格が高騰し、物流や製造業など多岐に渡り悪影響を及ぼす。石油は経済の黒い血液なのだ。

グローバリゼーションには良い面と悪い面がある。
例えば、地球温暖化は悪いことだけれど、CO2削減をしようとする地球規模のエコ活動は良いことだ。
全世界がある規格やルール、考え方を統一しようとする。

もちろん反発もある。世界がひとつの方向にまとまって行こうとする中で少数派は多数派に押されてしまう。

例えば科学が進歩して神様などいない、ということがほぼ証明されたとする。
すると神様を信じる国の人々は困ってしまうことになる。

宗教国家では、信じるということが文化なのであって、科学はまた別物として存在する。死後の世界が概念として存在することで安らかに生きることができる人もいる。

ある国に観光に行くと、スリと物乞いばかりだったとする。グローバリゼーションでは、スリや物乞いを許さないだろう。人の物を盗んではいけないし、働かなければ生活ができないとされている。人権というものがあるのだ。
人権に所有権というものが紐付けされている。

しかし、だからといってスリや物乞いを排斥しようとすると、その国の文化というものが崩壊してしまう。
ある国では、不衛生なのが文化かもしれない。
グローバリゼーションでは、不衛生さは各種感染症や病気の元と考えられているかもしれない。かといって、不衛生さを非難し止めさせれば、その国の文化は滅んでしまう。

文化が滅ぶということは、世界が均一化、並列化していくということであって、それはそれで便利なのかもしれないが、多様性という観点からは非常に危険なのである。
グローバリゼーションというのは、国単位のフランチャイズチェーンのようなものだ。

どこにいっても同じもの、同じ対応が期待できる。同時に独自の文化だとかマナーがなくなってしまう。個人がグーグルアースのような神の視点を持てるようになったことで、全体合理性を考えられるようになった。だけれどそれは同時に不幸の始まりである。

グローバリゼーションは現代の病なのである。
どういった病なのか?
差別と評価が無段階化する病である。

差別と評価が無段階化する、というのはどういうことかというと、上を見ても下を見てもキリがない、ということだ。
以前なら、自分の周りのことだけを心配していれば良かったのかもしれないが、グローバル社会では遠い国のある人物のことも念頭に入れておかなければならないかもしれない。例えば、北朝鮮の独裁者キム・ジョンイルなど。

新型インフルエンザがどこかで発生すれば、その地の渡航者は追跡され、病気を発症していないかを逐一監視される。
人類の活動範囲が劇的に広がったことで、落し物が増えたのだ。

グローバル社会では、「個人が他人に迷惑を掛けなければいいじゃないか」という考え方は通用しない。
例えば、リサイクルに非協力的な行動は地球にエコではないと非難される。

ネットを使ってダメな人間を探せば世界中どこにでもわんさかいるかもしれない。
あるいは、ネットを使えば、自分よりはるかに優れている人間なんて世界中ごまんといるかもしれない。

非グローバル社会では、兄弟間や学校内、町内会といったごく狭いエリア内での評価を気にしていれば良かった。
しかし、グローバル社会では全世界が個人を評価する。
評価する、というのは語弊があって世界的にいろんな絡みがあって、最終的には評価されてしまう、ということだ。

例えば、グローバリゼーション下では、日本が国際競争に負ければ日本の通貨である「円」の価値は下落してしまう。
これは直接自分には関係ないかもしれないが、デフレやインフレが起きれば、今ある財の価値は当然低くなってしまう。相対的に関連してくる。

働いて入ってくるお金と生活費の収支が合わなくなれば破産である。
破産する前に消費者金融などからお金を借りるかもしれないが、返せないと分かれば最終的な評価は「ブラック」である。

個人とグローバル化は直接関係ないかもしれないが、バタフライ効果でちょっとずつ世界で起きた波紋は自分へと広がってくる。

極端な例かもしれないが、口蹄疫のようになんの変哲も無い農村に住む普通の農家のおじさんにだって降りかかる災難かもしれない。

とはいえ、人類の活動範囲が広がったといっても、まだまだ物理的に人類は地球間を一瞬のうちに高速に安全に行き来できるわけではない。
今のところ、地球間を一瞬のうちに高速で行き来しているのは情報だけである。それに次ぐのはウイルスかもしれない。

情報というのは、具体的にお金、ニュース、音楽、動画、ソフトウェア、、信用、リスクなどである。

グローバリゼーションといってもまだ完成されたものではなく、現段階では情報が先行している形なのだ。

株価などは情報だけで動いてしまう。
投資家は国内にも海外にもいて、情報があればお金を一瞬のうちに動かして退避する。株価に関連付けられているヒトやモノは、かなり遅れて動くことになる。現実と実体が一致しないのである。
警備員と消防員が来る前に金庫の金だけは動かせてしまうのだ。

例えば、アイスランドで火山が噴火すれば、そのニュースは瞬く間に広がる。
火山灰によって近隣国の航路が不能になれば、ヒトとモノが動かなくなってしまう。
輸入と輸出は出来ず企業は大ダメージである。
投資家であれば情報を聞きつけていち早く不良物件を売り払い、売り抜けするかもしれない。情報の方が早く動くので、災害救助は常に後手後手である。

困ったときほど助け合わなければならないのに、我先にと逃げ出す。
情報が先に動くと言うことは、やる前から結果が分かり過ぎてしまう、ということであって、よほどのお人好しでもなければ救助はしないかもしれない。

グローバリゼーションというのは、知識だけが先行して行動が見合わなくなる現代の病なのだ。問題に対してどうすれば良いかを知っているが、それを実際にやろうとする人が非常に少なくなってしまう伝染病でもある。
知識を生かそうとする行動派の人間が少なくなる状態なのだ。

どうすれば良いかを知っている人がいて、それを知っていることを知っている人がいて、それをまた知っていることを知っている人を知っている人がいて、というように結果が先読みできてしまうとノウハウのコピーだけに留まってしまう。

なぜかというと、解決策や方法論を知っていれば、あとはできるはずだからである。
リスクは挑戦することで発生するので、ノウハウだけを持っていれば誰かが理論を実践してくれるのを待つだけでいいのだ。あとはそれをまたコピーすればいい。

ネットの情報はコピーのコピーに溢れている。人類が保有している情報は、人類全てが一生掛かってもアウトプットできないほど膨大である。
つまり、どうやっても頭で分かっていることを経験として再現できないことを意味している。

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