長岡式:083【目標を紙に書く本当の理由】

目標を紙に書くと叶う、といわれている。
しかし、その本当の理由を誰も知らない。
目標を紙に書くと叶う、本当の理由は、
目標を忘れて突っ走ってもいいようにするためである。
目標が意識上にあるうちは、目標が頭の中で変化するため、
スタートがリセットされ、ゴールもその分延長されるのだ。

「目標を紙に書く」というのはいつ頃か流行り、効能があるとして常識として広まっている。
メモを取るとか、計画書を作るというのも類するものだと思う。
どうして「目標を紙に書く」と良いのか?

間違っても魔術のように羊皮紙に魔方陣を描いて祈れば願いが叶うというものではない。 たまに単に「紙に書けばいい」と思っている人がいるが多分効果はないだろう。
「書けばいい」というわけでもないのだ。
「書くという行為」が良いというわけではない。

書くという行為は確かにエピソード記憶を強化して、記憶として定着しやすくしてくれるかもしれないが、それが目的達成に繋がるかは別問題なのだ。
その証拠に我々は傘をしょっちゅう失くす。約束をしょっちゅう忘れる。
憶えていることが必ずしも目的達成に繋がるわけではないことは、日常の中で痛感するはずだ。

ではどうして「目標を紙に書く」のかというと、脳神経回路の繋ぎ換えをするためである。
脳神経回路というのは、我々の記憶から感情まで司り、いわば人格を形成していることで知られている。

だから、脳神経回路のネットワーク脳神経回路のネットワークがダメージを受けるアルツハイマーに罹ると、人格までが変わってしまうことが知られている。
その人の行為とは、その人そのものなんである。
その人とは、すなわち脳神経ネットワークなのだ。

つまり、行為を変化させるためには脳神経ネットワークを変える必要があるわけだ。
しかし、同時にはそれは脳神経ネットワーク=人格なのだから、人格にも影響を及ぼすことを意味する。

例えば、ルービックキューブに慣れていない人は、一面を揃えようとするあまり、他の面から目を持ってきて、不揃いになることが多々ある。
一面を揃えようとすると、他の面が不揃いになってしまうわけだ。

プロになると、一面だけを単一的にそろえるのでなく、全体を走査して全面を一気に揃えていくと言われている。
脳神経ネットワークを換えるというのは、ルービックキューブに似ているのだ。

問題は、旧ネットワークと新ネットワークにある。
目標を達成する以前の状態を旧ネットワークとすると、目標を達成した後のネットワークは新ネットワークになっている。
これを人格に置き換えてみると、旧人格から新人格へと変化する、ということだ。
ここがミソなのだ。

脳内で人格の変化、方針の転換を起こすというのは非常に難しい。
これは、例えば密室の中で部屋の塗り替えをするようなものだ。
密室で部屋を綺麗に塗り替えようとすると、必ずペンキを塗る主体の存在が最後には邪魔になるはずだ。

どんなに綺麗に塗ったとしても、自分の足元までは綺麗には塗れないのだ。

ではどうすればよいかというと、とても簡単な話で、主体の一時避難所を設ければいい。 例えば、板を置くとか、密室にドアを設けるなどだ。

旧人格から新人格へと変化するというのは、このような作業に近いものがある。

だから、旧人格と新人格との衝突が起こる。矛盾が発生する。
しかし、これを人は認めようとしない。自分の中で起きていることだから、矛盾が発生しても、なにかしらの言い訳をして認めようとしない。これを同一性とか同一視と呼ぶ。

同一性が保たれていないと人格は破綻する。
昨日の自分と今日の自分がまったく違うなんていい始めたら、それは詐欺師かパラノイヤだろうね。

自分の人格をとことん矮小化して、他人に迎合して生きている人もいるが、普通は人格()というものがあり、それを否定されると大抵は傷ついたり、怒ったりするものだ。

もっと別の喩えをすると、走っている車の中にドライバーと助手がいたとする。
助手がドライバーと運転を交替するにはどうすればいいか?
当然、車をいったん止めるよね?

しかし、残念なことに脳神経ネットワークのスイッチを切ることは、死を意味している。スイッチを切れば簡単かもしれないが、切ったらもう二度と起動はしてくれないのだ。
たまにスイッチを切ってしまうことを選択する人がいるけれど、生き返った試しがない。

第三者が介入して、交替を補助してくれるわけではない。
自分自身のことは、自分という密室で常に行われるのである。

つまり、行動を変える、考え方を変える、というのは結末を変える第一歩なのだけれど、同時にそれは自分らしさの喪失でもあるわけだ。
そこに頓着しない人や、小さな目標ならどうということはないが、自分が変わることで大きな喪失感を味わうこともある。

例えば、家族のために休日を返上して働いてようやく目標を達成したのに、そもそもの目的の家族の幸せは破綻していた、なんていうのはよくある話だよね。
大切なもののために変わったのに、大切なものは分かれてしまう。等価交換のようなものだ。
分かると変わるはとても似ているのだ。

話は戻るけれど、目標が大きければ大きいほど、そして目標達成が困難であればあるほど、あなたは大きく変わる必要がある。
あなたが大きく変わると、周りはおろかあなた自身も自分の変化に混乱し分からなくなる。

あなたが以前とは違う分からない者に変身することに恐れる周囲の人々は大反対し、あなたはかつての自分らしさが永久的に戻らないことに絶望を覚えることになる。

分かると変わる。変われば分かる。

その次に理解することは、分かることと、変わることと、別れることは似ている、ということだ。
別れは新たな出会いのはじまりとなる。
あなたが変わると、あなたを取り巻く環境が変わる。

でも大抵の人は、自分が以前と変わっていないか、あるいは以前よりも自分らしさに満ち溢れていると思いこんでいる。すれ違いの始まりかもしれない。

別れは近くなる。

分かると変わる。変われば分かる。

しかし、この操作は一方向であり、不可逆なのだ。
理(ことわり)を一度分かってしまえば、二度とそれを自ら忘れることはできない。
その証拠に、「考える」という動詞はあるが、「考えむ」という動詞はない。
「考えない」や「考えず」という否定形はあるが、否定している時点で、それを憶えているよね。

例えば、パソコンである文章を削除するには、その部分だけを選択して削除するのだけれど、結局削除する時には一度どこかの記憶領域にデータを格納する必要がある。削除したことを憶えているわけだ。

人間はパソコンと違うので、その事実を削除しようとすると、削除したことを削除したことを憶えていることになる。

入れ子状態になってしまう。

結果的に憶える回数が増えて、その削除したいことはより強固な記憶として残ってしまう。これがトラウマだ。

ところで、目標を紙に書くと叶う、といわれている。
しかし、その本当の理由を誰も知らない。
目標を紙に書くと叶う、本当の理由は、目標を忘れて突っ走ってもいいようにするためである。

目標を達成した頃、過去の自分と今の自分は変わっているだろう。
目標を立てた過去の自分の気持ちを忘れないようにするためには、外部記憶メディアである紙に自分の手で書き留めておくことだ。

逆に言えば、何かを分かるためには変わるしかない。変わるためには今の自分の気持ちを紙に書いて切り離しておけばいいということだ。そうすれば大きな変化があっても、昔の自分に安心して戻られる可能性がある。

因みに、この長岡式エウレカは、私が変わってもいずれ元の場所に戻ってくるための壮大なタイムカプセルのようなものなのだ。

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