長岡式:082【越えられない壁はないが、越えたくない壁は山ほどある】

越えられない壁はないが、越えたくない壁は山ほどある。
人間に試練のハードルが与えられるとき、乗り越えられない壁はないという。
しかし、直観に反するが、人間には超えたくない壁なら山ほどある。
混同してはいけない。

人間にとっての壁はなぜあるのか?
例えば、言語的な壁はもっとも顕著な例だろう。
言語機能は幼年期のある時代に獲得できないと未発達のまま衰退してしまうという。
これは言語機能が人間にとって非常に高度で負担の掛かる機能であるため、幼年期のある時期に使わないと負担を避けるために脳が言語野を捨ててしまうためだと言われている。バイリンガルとして育てるなら2~3才までにしないと遅いとも言われている。

話の分かる大人、話ができる人、話し合いで解決するなど、言語的な壁は幾度と無く立ちはだかり、乗り越えなければ課題として存在する。
他にも体力的な壁、年齢的な壁なども存在する。
年を取れば聴覚は弱まり、筋力は衰えて行く。明らかに若者と年寄りとでは肉体的な差が生まれ年齢を分ける壁となる。

社会には壁が溢れている。まず家は壁で囲まれいるし、トイレは完全個室の密室だ。
職業的な壁もあるし、時間的な壁もある。法律という名の壁もあるし、物理法則という名の壁もある。
その中でも特に話題にしたいのが、自分が個人的に感じる壁のことだ。

例えば、早朝5時に起きて2時間勉強をしてから1時間のジョギング。それから会社に行き定時に退社した後は中国語講座を受ける、といった目標を立てたとする。この目標は別にダイエットで1ヶ月で5キロ痩せるでもいい。

少しでも野心がある人であれば、こういった個人的なハードルという壁を作って乗り越えようとすると思う。
要するに、目標を立ててそれをクリアするための計画を練り、実行に移すことだ。
そのハードルをクリアできたとき、ひとつ上のステージに立つことになる。
大抵の人の幸せというのは、このひとつ上のステージに立つことで得られるようになっている。

つまり、努力をして成果を出す、という方向性は人類共通の流れとなっているのだ。
故に、人類の文明は衰退せずに進歩している。

では、こういった目標クリア型の幸福追求は正しいか? というと必ずしもそうではない。

例えば、前年比クリアを目標にしていけば、必ずどこかで成長は鈍ってくるものだ。
人間圏で人間が経済活動をすればするほど地球温暖化ガスは増えて、環境は悪化していく。
目標クリア型の幸福追求はある程度までは効果があるが、度を越すと逆効果となる。

例えば、日本人が欧米並みに豊かになり、食生活の改善で身長が伸び続けたとする。
もし身長が伸び続けて、平均身長が2メートル50センチになったとしたらどうだろう?
骨格がそれほど変わらないのに背だけが伸び続けると、バランスが悪くなることが知られている。
やはり元の骨格に対してバランスの良い身長というのが存在するのだ。

つまり、何が言いたいかというと壁を感じる、壁を作る、壁が存在する、ということにはそれなりに理由がある、ということだ。大抵の理由は、自重を促すためにある。
単細胞生物から、多細胞生物へと進化し、その中でも人は生物の頂点に君臨したかのように見えたが、その死亡原因のトップは今や癌である。

癌は細胞が無限に増殖し、暴走した状態だ。滅多矢鱈と無限に増殖を繰り返し、正常な細胞をリバーシのように塗り替えていく。細胞にさえ細胞壁という壁がある。各細胞に壁が無いほうが便利なような気がするが、壁があるのは暴走させないためであり、自重させるためだ。壁は防壁と防火壁()の役目を果たしてくれる。

例えば、人類が物凄くポジティブでモチベーションが常に高い状態にあったら大変なことになる。躁状態のテンションマックスだったらすぐに戦争が起きるだろう。

「デス・スパイラル」と呼ばれる蟻の珍しい行動。
大きな集団から逸れてしまって行き場所を失った蟻の一団が
お互いの匂いを頼りに渦巻き状に回り続け、
やがて体力が尽きて全員死んでしまう現象。

目標クリア型の幸福を追求し続けたら、地球はポジティブという名の癌細胞に覆い尽くされるだろうね。
しかし、そうならないのは我々が越えられない壁はないが、越えたくない壁は山ほどあることを知っているからだ。

その壁を越えてしまうと取り返しの付かないことになることを知っているのだ。
いわゆるタブーというもので、これがあるお陰で我々は守られている。
よく分からないかもしれないから説明しよう。

例えば、我々が壁だと感じるのは脳だ。壁はその脳がどう感じるかでしかない。脳それ自体は頭蓋という壁の中に閉じ込められている。我々が感じる現実というのは、常に壁を通してであり、壁を決して越えることのできない仮想でしかない。

だから、脳は外へ外へと出ようとする。なぜなら常に頭蓋の内側に存在しているからだ。しかし、それは所詮無理な話である。

脳の問題はややこしい。

脳が壁を越えたと感じた時、それは同時に脳が壁を答えたいと考えた時点の脳とは異なるんだよね。

例えば、ダイエットの目標を立てた時点の脳と、ダイエットをして挫折寸前の脳とでは、同じようでいて違う。
もし同じならば、過去も未来も挙動に同一性がなければおかしいことになる。
脳にとって、過去と現在と未来というのは、実はそれぞれ異なるんだよね。

だから、統一を図ろうとし、不統一なことを一切認めようとしない性質がある。

なにかしら適当な言い訳を付けて中止してしまう。その言い訳は、もちろん過去には定義されていなかった後付のものなので、明らかな不統一性が感じられるだろう。
錯視や錯覚に囚われるのも脳がなにかと言い訳をするためなんだよね。

つまり、目標を立ててそれを実行しクリアをするというのは、脳の状態も変わるということだ。脳の状態が変わるということは、現在の脳の状態と不統一になることを意味している。
先ほども述べた通り、脳は不統一なことを嫌うから、矛盾が生じてしまう。

超えたくない壁というのは、脳が唯脳を主張して、内部で混乱し変化を排除しようとしている時に立ちはだかる。
自分が自分と喧嘩しているような状態だ。
一度、喧嘩をして勝てば自分の中の自分は死んでしまう。脳の状態が変わるといってもいい。一度変わってしまうと、もう元には戻らない。

成功を続ける人がしまいには元々なぜ自分が成功しなければならないのか分からなくなり、自分を見失ってしまうことがあるが、正に一度変わってしまうと、もう元には戻らないことを表わしていると思う。

しかし、自分の脳はそれを認めないんだよね。自分が自分のことを一番よく知っていると思い込んでいるからこそ、自分が変わったということを認めない。なぜなら不統一性が発生するからだ。
不統一性が進行すると記憶障害や痴呆となる。

目標クリア型の幸福追求を続けることは、我を失う原因となる。癌細胞の暴走のように「そもそもなぜ?」が行方不明になり、目標をクリアすることだけが目標と化してしまう。

我々には確かに越えなければならない壁はあるけれど、決しては越えてはならない壁というのもあるということを知っておいたほうがいい。

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