長岡式:077【人間は1度に7つのことしか覚えられない】

人間は1度に約7つのことしか覚えられない。
この不思議な数字をマジカルナンバーセブンと呼ぶ。
しかし、グループ化することで拡張できる。
01098764537
という連続した数字も
010-9876-4537
とハイフンで区切ることで、
3桁-4桁-4桁
となり、覚えやすくなる。
これを記憶チャンクと呼ぶ。
人に伝えるべきことが、7つ以上あるのなら
1度にまとめて伝えようとしないことだ。

なにかを為そうとする時、敵にも味方になるもの。それは記憶ではないかな?
記憶をする、記憶される。記憶を引き出す、記憶を引き出してもらう。
この記憶の書き込みと読み込みがスムーズにできればいろいろと苦労しないで済む。

例えば、英語の辞書を一度読んだだけですべてを暗記できたら、語学学習には事欠かないだろうし、人の話を一度聞いただけで忘れなければ会話には苦労しない。
日常、なにかと記憶にまつわるトラブルは多い。

うっかり火を点けっぱなしで家を出たとか、うっかりレンタルビデオを返すのを忘れて延滞金を取られる、というのも記憶の所為だよね。

普通の人であれば、「なんでもっと記憶力が身に付かないんだろう?」と悔しがることは多いと思う。
人生の半分は憶えるためにあり、残りの半分はそれを忘れるためにある、という人もいる。

不思議なのはこれほど日常で重要な機能を果たす記憶力だけれど、人間の進化に歴史でなぜもっと改善されなかったのか? ということだ。
もし記憶力が人間が生き残るために必要であるならば、もっとマシだったはずだ。
しかし、実際には人は一度に覚えられるのはせいぜい7つ程度だという。

つまり、人が進化の過程で記憶力を必要としなかったということだと思う。
脳は肥大化したけれど、一度に多くを記憶をするということは、進化にはあまり重要ではなかったのではないか? そのような仮定が浮かび上がる。

逆に言えば、人は一度に7つ程度の記憶だけを選択し、あとは切り捨てる性質がある、ということだ。
それは正解だと思う。

多分、人間は忘れっぽいのが幸いして進化できたのではないだろうか?
忘れっぽいから文字を作り出し、後世にまで伝えたいからメモをとったのかもしれない。記憶を取捨選択するという能力は、多様化する変化に富む世界ではとても有利に働く。

例えば、多くの鳥には「刷り込み」という本能が備わっている。
生まれて最初に見た動くものを親だと認識する、という記憶力は、それが親ではなく捕食者だった場合には悲惨な結果を引き起こす。

移り行く世界、変わり行く世界に対応するには、物事の本質だけを学び取り、自分の知識として取り入れる柔軟性が必要なのだと思う。
この能力を獲得できた人間は、生物界の頂点として君臨できた。

もし仮に記憶力が精巧で良すぎるとどのようなことが起きるかというと、以前合ったことがある人の髪が少し伸びたり、違う服を着たり、痩せたり太ったりしただけで、過去の記憶と比較すれば明らかなる別人ということで、うまくコミュニケーションが取れないだろうね。
極端な話、顔が正面の時と横顔の時とで別人として認識されてしまう。

変化する世界では、記憶はある程度曖昧で柔軟でなければ役に立たない。
だから、記憶というとすぐに憶えることと思い出すことに執着しがちだけれど、本当に大事なのは、記憶の適合化とか連想化なのだと思う。

例えば、このような暗号があるとする。

123
246
48?

「?」に入る数字はなんだろうか?

みんな簡単に「12」と答えると思う。この暗号を解く鍵は、記憶することでも、思い出すことでもない。
過去の知識から適合する情報を拾い出し、類似したケースを見つけ推理する連想能力が必要になる。

変化する社会というのは、関連性や類似性はたくさんあるけれど、まったく別の事象が連続で起きているので、過去に起きたことをまるまる覚えるのはあまり役に立たない。

むしろ、過去に起きたことの本質を見抜き、それを応用したり発展したりすることの方が役に立つ。

単純に記憶したり記憶を再生することはテクノロジーがカバーしてくれるようになったので、年々不要になってくるだろうね。

ところで、人間は1度に7つ程度のことしか覚えられないというのは、ジョージ・ミラーによる短期記憶庫の実験から来ている。ざっと説明しよう。

人間の認知機能で重要な位置付けにある「」とは、「記銘・・想起(再生・再認)」の3つの過程から構成される情報処理(情報の保持と再生)の機能のことだ。

高次脳機能によって実現される記憶は大きく分けると、一時的に小さな容量の情報を保持する「」と継続的に大きな容量の情報を保持する「長期記憶」に分けることが出来る。

長期記憶は、言語的な情報(言語的な記述・事実・意味)が記憶される「宣言的記憶」と言語的情報とは無関係に無意識的な行動や思考の手続きが記憶される「手続き記憶」とに分けることが出来る。

言語的な情報の記憶であり言語表現で再現することが可能な「宣言的記憶」は、さらに、「エピソード記憶」と「意味記憶」に分けることが出来る。

自分自身の直接的な過去の経験や他人の過去の思い出など「時間的・空間的な文脈」で表現できる出来事(エピソード)に関する記憶のことを「エピソード記憶」と呼ばれている。

専門用語の定義や客観的な知見など学習行動によって身に付ける「一般的な知識教養」に関する記憶のことを「意味記憶」と呼ばれている。

本人が明確に意識できない記憶で、意図的な想起もできないが長期的に保存されている無意識的な記憶のことを「潜在記憶」と呼ばれている。

短期記憶で保持できる情報の容量は極めて小さいので、長期記憶へとつなげる反復学習やリハーサル(頭の中での復唱)の時間が十分に取れない場合には、人間の認知機能によって支えられる知的活動はかなり制限されたものになってしまう。

エビングハウスの忘却曲線の記憶研究をはじめとする記憶分野の研究活動の発展によって、現在では、短期記憶を「作動記憶(作業記憶)」という概念で表現することもある。

短期記憶の概念では、アトキンソンやシフリンが仮定した「情報の短期的な貯蔵庫」としての意味合いが強くなっているけれど、作動記憶(ワーキングメモリー)の概念では、読書・計算・コミュニケーション・記憶課題への回答・学習行動などの認知活動で、情報がどのように操作されて利用されるのかという「情報処理機能としての記憶」の意味合いが強くなっている。

短期記憶という場合には、情報を短期的に保存しておく貯蔵庫がイメージされていて、短期記憶は他の認知機能から独立している。

一方、作動記憶(作業記憶・ワーキングメモリー)という場合には、短期的に保持した情報をどのように操作(活用)していくのかという情報処理機能がイメージされていて、作動記憶は他の認知機能と相互作用を及ぼし合っているという。

誰もが直感的に理解できる短期記憶と長期記憶の区別を、「記憶の貯蔵庫(保管場所)」という理論モデルで説明したのがアトキンソンとシフリンで、彼らの短期記憶と長期記憶の貯蔵庫に関する理論モデルを「二重貯蔵モデル」と言う。

アトキンソンとシフリンは、感覚器官から入力された情報が短期的(一時的)に保存される場所として「」を仮定し、短期貯蔵庫にある情報の一部がリハーサル(反復学習・復唱)やコーディング(体制化・符号化)を通して「長期貯蔵庫」に転送されると考えた。

アトキンソンとシフリンは、外界から入力された情報(刺激)は、最初に自動的(無意識的)に感覚登録器に入力され、その情報は感覚記憶としてごく短時間だけ保持されると考えた。

視覚刺激の感覚記憶は「アイコニック・メモリー」と呼ばれ、その持続時間はスパーリングの実験によると約500ミリ秒以内であるとされている。
聴覚刺激の感覚記憶は「エコイック・メモリー」と呼ばれ、その持続時間はグルックスバーグとコワンの実験によると約5秒以内であるとされている。

本人が意識しない間に自然に外界から入ってくる情報は、感覚登録器で感覚記憶となりますがその持続時間は極めて短いことが分かる。

感覚登録器に自動的に入力された情報の中で、選択的注意を向けられた情報は、「短期貯蔵庫」に格納されて情報保持の持続時間が約15~30秒に延長されるとアトキンソンとシフリンは言う。

短期貯蔵庫に情報を一時的に保存することによって、人間は「意図的な情報処理の選択」を行うことが出来るようになる。

情報の短期貯蔵庫が存在することによって、リハーサルやコーディングといった記銘処理をしてその情報を更に長い時間保持するのか、それともその情報をリハーサルせずにそのまま忘却してしまうのかを選択できるというわけだ。

つまり、気になる情報は意識に残りやすく、どうでもよい情報ほど早く捨てられることを意味する。

リハーサルというのは、予行演習あるいは反復学習のことで、短期貯蔵庫に格納された情報を繰り返し声に出して覚えたり、心の中で復唱して記憶を強化するというもの。

コーディングというのは、水泳や野球、テニスという言葉をスポーツという概念でグループ化したり、遊園地やショッピングセンターという言葉を具体的な視覚イメージと結びつけたりすることで、一般的に認知の体制化や符号化の作業として理解されている。

容量に制限のある短期貯蔵庫に保存された情報は短期的にしか保持されないが、容量に制限のない長期貯蔵庫に保存された情報は永続的に保存されることになる。

アトキンソンとシフリンは、短期貯蔵庫から長期保存庫に転送された情報は、忘却されることなく永久に保存されると考えた。
短期貯蔵庫の容量は小さく新しい情報が入力されると古い情報が忘却されるという特徴があるけれど、複数の保存場所(スロット)を持つ「リハーサルバッファーという仕組みを持っているので、スロットの数の範囲内で情報を循環させながら保持することが出来る。

短期貯蔵庫のリハーサルバッファーの仕組みによって、スロットの数の範囲内の情報をぐるぐると循環させて保持することが出来るが、反復して頭の中で情報を復唱するリハーサルを行っているとその中の幾つかの情報が長期貯蔵庫へと転送されていく。

リハーサルの回数と選択的注意の強度が大きいほど、短期記憶の情報が長期記憶として定着する可能性が高くなる。また、短期記憶は「系列位置効果」の影響を強く受けている。

例えば、どういうことかというと自分が経験した強烈なことは長期にわたり記憶に残りやすく、何度も思い出すことで記憶力は強化されるということだ。記憶の浅いものでも、体験談や手記、日記を書いて外部メディアに残しておくことで、記憶がより鮮明となり長期記憶としても残りやすい(リハーサルバッファー)。

系列位置効果というのは、記憶課題として「記銘リスト」を記憶する場合に、リストの項目数と関係なくリストの最初と最後の数項目の再生率が、リストの中間部分の再生率よりも高くなるという効果のことだ。

記憶する情報の相対的な位置(順番)によって、再生率が変化する効果のことを系列位置効果と呼ぶ。
リストの最初の項目が再生されやすい効果を「初頭効果」といわれるが、この効果が生まれる原因は、情報が短期貯蔵庫に初めに格納されるため、繰り返しリハーサルが行われて長期貯蔵庫に転送されやすいからだと考えられている。

リストの最後の項目が再生されやすい効果を「新近性効果」と呼ぶが、この効果が生まれる原因は、最後に情報が短期貯蔵庫に格納されたため、リハーサルバッファーのスロット(保存場所)から直接的に情報を再生できるからだと考えられている。

例えば、長細い穴があればモノを出し入れする度に、入り口と出口は広がっていくことに似ている。

記憶の忘却に関しては、アトキンソンとシフリンは、リハーサルがなければ時間経過と共に情報は急速に忘れられていくという「減衰説」を唱えた。
減衰説以外にも、新たに短期貯蔵庫に入ってきた情報の記憶痕跡によって、古い情報の記憶痕跡がかき消されていくという「干渉説」で短期記憶の忘却を説明する立場もある。

長期記憶庫に入った記憶も似たような体験をすると干渉しあい混ざることもある、ということだ。

例えば、中学校の同級生だと思っていた人が、実は高校時代の同級生だったりと、似たような長い学生生活が一度は確固として根付いた長期記憶を混乱させることもある。

短期記憶の容量がどのくらいあるのかについては、ジョージ・ミラーが「」という情報のかたまり(情報のまとまりある単位)の概念を導入して、「7±2」の容量に限られていることが分かっている。

アトキンソンとシフリンの二重貯蔵モデルで考えると、短期貯蔵庫のリハーサルバッファーにあるスロット(情報の保管場所)の数は7±2であるということになるけれど、情報のかたまりであるチャンクは語呂合わせなどによって長くすることが出来る。

つまり、歴史の勉強で年号を覚えるときのように、「1192(いい国)作ろう鎌倉幕府」のようにチャンキングして覚えれば、1192年という記号が一つのチャンクになるわけだ。

ながくなったけれど、要するに上記の内容を簡潔に示せば、人間は1度に7つのことしか覚えられない。だから、1度にまとめて伝えようとしないことになる。

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