長岡式:088【入り口より出口を探せ!】

入り口より出口を探せ!
出口より非常口を探せ!
入らず済ませるなら、
入るな。

「入る」とか「出る」というのは何を意味するのだろうか?
入るのも出るのも大抵は意識の問題であって座標的な問題ではない。

例えば、ある場所(座標)があって、そこに移動することが「入る」ことだとする。
逆にその場所(座標)から移動することが「出る」ことだとする。

この時、入る(イン)と出る()というのは何が規程しているのだろうか?
明確な境界線があるならそれ以降、それ以前という線引きができるかもしれない。

しかし、よく考えてみるとその座標自体に意味がないことが分かる。

例えば、境界線で明確に仕切られた場所に移動することが入ることなら、論理的に境界線はインなのだろうか? アウトなのだろうか?
意味分かるだろうか?

境界線に物理的な厚みがある場合は、その線は外側なのか内側なのか?
外側と内側を隔てているものが境界線である場合、その境界線の扱い自体に疑問が生じるよね?

つまり、インとアウトの概念を区分けしているのは、座標ではなくむしろ境界()であることが分かる。
仮に境界線に厚みがないとしても、この問題は変わらない。
境界線はどちらに属するのかグレーゾーンなんだよね。

従って「入る」のも「出る」のも移動という物理的な現象によるものではなく、むしろ認知という概念に属することなんだよね。

これは思考実験で確かめることが出来る。
あるエリアに入ることが「入る」ことだとする。この時、そのエリアに自分の手だけを入れる。

この状態はなにかを考えてみる。

手だけが入っても「入った」と考えるのなら、その手には論理的に考えて、エリア内とエリア外という境界が発生するはずだよね?

この考えを延長すると、自分というひとつの体には、エリア内の自分とエリア外の自分という二種が存在することになる。
さてここが主題。エリア内の自分とエリア外の自分の二種が存在することを認識している自分は、はたしてエリア内なのかエリア外なのか?
手だけがエリア内で、認識している頭はエリア外だったよね?

「手だけが」と部分を認識しているのはその手ではなく頭であることは明白だ。
では、自分にとって「その手」とはどこからどこまでなのか? というボーダー問題が発生する。意味分かるかな?

ざっくりと手は手と認識できても、肩と腕の境界や、腕と手の違いだとか、手と指の関係といったものをこと細やかに線引きしていくと、必ず袋小路に迷い込むことになる。

なぜなら、そもそも体の部位というのはエリアごとに分かれてはいないからだし、それを認識しているのが、その部分ではなく別の頭だからだ。

もともと分かれていないものを便宜的に分けるために、概念として分けているだけであって、本気で分けようとすると必ず矛盾が生じる。

これを手ではなく思考している主体である脳でやりはじめると訳が分からなくなる。

デカルトの「考えている自分とはなんなのか?」という深みにハマってしまう。
全てを全てだと証明するには必ず、全て以上のなにかが必要なんだよね。

デカルトは「我思う故に我あり」と反証法により自我を証明してみせた。

どういうことかというと、自分というのは自分で証明することはできないけれど、逆に言えば自分で自分を証明できないことが少なくとも自分が存在する担保になっている、ということだ。

もっと分かりやすく言うと、宇宙人を見たという人はいないけれど、宇宙人は存在しないということを証明できた人がいない以上、宇宙人がいないことにはならない=可能性は低いが宇宙人は存在する、というようなものだね。

話は戻って、結局「入る」とか「出る」というのは物理的な移動の話ではないよ、ということ。
意識とか概念の問題であって、入るも出るも自分自身の考え方次第だということ。
ではなぜ人は意識次第で入るも出るも自由なのに、実際に拘るのか?

例えばビデオ屋でレンタルビデオを借りる時には入会手続きがいるよね?
これはなぜなのだろうか?
理由は、入会という手続きがないと、メンバーにはなれないからだ。
ではメンバー(会員)とはなにかというと、これは物理的にエリアがあるわけではなく概念なんだよね。

概念という実存しないエリアに侵入するにはどうすればいいか?

それには「入会手続き」という通過儀礼が必要になる。
この意識上の手続きによって、はじめて実存しないエリア内に入り、メンバーになることが許されるわけだ。

基本原理は借りるのは有料で、借りたものは現状を維持したまま期限内に返すこと。

このようなメンバーシップはレンタルビデオだけではなく、様々な場所に存在する。
会社内や家族内。街の各種ショップからネット上のコミュニティまでありとあらゆるところにある。

何が言いたいかというと我々の周りにはたくさんの「入り口」が存在する、ということだ。入り口がありそこから入るということは、そのエリアに属しメンバーシップを遵守する、ということでもある。

問題はそのメンバーシップが多数あることでお互いが干渉し合うということ。

例えば、ある有名ホテルがあるとする。そのホテルのメンバーシップはお客様第一主義で、お客様の満足を第一に考えることだとしよう。そのホテルを利用したある人が、とあるビジネスホテルを利用したとする。

ホテル側になんらかの粗相があり、そのお客は憤慨してしまったとしよう。
この時、よくあるのはとある有名ホテルのお客様第一主義を思い起こし、「このホテルはサービスがなってない」と思うことだ。そもそも方針が違うので、それを一緒に考えるのはナンセンスだよね。

全く異なったメンバーシップであるにも係わらず、業種が似ているため、最も心地良いと思われるメンバーシップを異なる組織や団体に求めてしまうということは多々あると思う。

運営団体が異なれば運営方法も異なるわけで、当然メンバーシップも異なる。
しかし、人は違うものを一緒にしたがるんだよね。

その理由はなにかというと、入口から入ったまま出口から出ていないからだと思う。
意味分かるだろうか?

世の中には実存、非実存問わず様々なエリアがあって、大抵は入るのはたやすい。
しかし、そのエリアに入った後「退出」しないままであることは多いと思う。
いわゆるログインしたまま、という状態である。

たとえるならば、ホテルにチェックインしたまま、ということだ。チェックアウトを忘れたまま家に帰ったり、会社に出勤したり、遊びに出かけたり、別のホテルに二重にチェックインするようなものだと考えてもらえば分かりやすい。

この状態が続くと、当然メンバーシップも適用されたままなので、メンバーシップが相反する場合は当然のことながら干渉するんだよね。

つまり、何が言いたいかというと、入ったのならば必ず出なければならない、ということ。お金は掛からないし文句は言われないかもしれないが、メンバーシップが働いて意識的に制限されることはある。
ドツボにハマるという悪循環があるが、あれは結局のところ、入ったまま出てこないから考え方や行動に矛盾が生じているわけだ。

これが曖昧になると主体性も曖昧になる。
自分の考えなのか、それともその属しているメンバーシップに沿った人から与えられた考え方なのかが分からなくなってしまう。

例えば、どこであってもディズニーランドのような高いサービスを求めるのは、明らかな混同だよね。
例えば、今付き合っている恋人に対して、昔の恋人はこうしてくれた、ああしてくれたと要求するのは、明らかな混同だよね。

それが終わったのならば一度そのエリアから退出(ログアウト)しなければならない。
出ないままでいると、知らず知らずのうちに自分が属しているエリアのメンバーシップを遵守させられることになるんだよね。
いつまでも十代の気持ちのままでいる四十代は辛いだけだろう。

例えば、三十代で貯金を1000万円貯めて、結婚して家を持ち、子供は何人以上、なんていう考え方は根拠がない。でもそうしなければならないと思い込む自分がいたら、きっとなんからの精神的コミュニティに属しているはずだ。実際そのような現実を手に入れられるのならいいけれど、そうでない場合は精神的苦痛なだけだろう。

その属性から意識的にログアウトしないうちはずっと苦しむことになる。
知らず知らずのうちになんからの「会」に入会している可能性もある。
世の中、「とある会」だらけでその勧誘は引き手数多だ。

ではなぜそのような会がたくさん存在して、入会してしまうのかというと、最初に述べたように、場所()自体には何の意味がないからだ。つまり、境界(ボーダー)なんてものはないからこそ、境界を決めなければならないためだ。

例えば、常識というエリアなんてものは実際には存在しない。存在しないからこそ常識と非常識という境界線を作らなければならない。

しかし、境界線自体は概念なので、常識と非常識のどちら側に存在しているかは定かではない。グレーゾーンなんだよね。

人はグレーゾーンを嫌がる性質がある。なぜなら、その線はエリア内なのかエリア外なのか決まっていないからだ。そして、そもそもその原因というのは、脳の仕組みにある。エリア内とかエリア外と考えている自分自身(自分の脳)には、明らかな境界が存在する。

しかし、その境界は自分自身では認識できない。

デカルトの「疑う自分は疑うことはできない」という命題だ。

例えば、脳と外界を隔てている頭蓋骨を脳は知らないし、脳内にも様々な部位があるけれど、それを認知しているその場所、というのは脳自体は特定できない。特定するには脳内にもうひとつの小さな脳が必要になる。
常に灯台下暗しなんだよね。

脳が脳のことを考えはじめるとキリがないから脳は基本的に常に統合しようとする。グレーゾーンを見つけてきっちりアイロンをでも掛けるみたいに継ぎ目を目立たなくしようとするんだよね。検索エンジンが検索エンジンを検索し始めたらキリがないよね? それと同じことだ。

人間の住む世界というのは、そのほとんどが人工物である。
つまり、元は誰かの脳内にあった概念が具現化したものだ。
物理的な場所であれ、概念的な決まりごとであれ、そこに近付くということは、他人の脳内に侵入するということと何ら変わりが無い。

他人の脳内に侵入したまま、帰ってこなければどうなるか?
他人に取り込まれたままになる。それでもいい場合もあるけれど、自分の考えと矛盾することもある。
メンバーシップとは他人の考え方そのものなのだ。

複数のメンバーシップを抱え込むということは、複数の亡霊が自分にとり付いていることと変わらない。呪われているといってもいい。
脳はグレーゾーンを許さないから、相反する他人の考えを排除するか統合しようとする。排除も統合もできない場合は矛盾に混乱することになる。

そんな時は、まず入り口よりも出口を探すことだ。

【引用元 goo イメージサムネイル】

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