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2.3.10.100.1000.10000

同じことを、

2回繰り返せば落ち着くものである。

3回繰り返せば、上達するものである。

10回繰り返せば、飽きるものである。

100回繰り返せば、一人前である。

1000回繰り返せば、他人に教えられるものである。

10000回繰り返せば、なにかを悟るものである。

長岡式エウレカより

世の中には、一度すればいいことと、繰り返しすればするほどいいことがある。
一度すればいいことと、というのは例えば「生と死」というものがある。
これは一人につき、一生に一度しかできない。

一方、繰り返しすればするほどいいこと、というのは例えばゴルフなどのように正確さを要求される運動などである。
では、繰り返すとはなにか? なのだけれど、繰り返すというのは

「世界を自分の中に構築すること」に他ならない。

つまり、繰り返さなくてもよいものというのは、「生と死」のように予め何もしなくても自分に備わっているものなのだ。どうして繰り返すのかというと、それは自分自身だけでは再現できない現象だからだ。

例えば、人がなぜ食事を繰り返しするのかというと、自分自身では自分の活動エネルギーを作り出すことができないためである。ゴルフのパッティングを練習するのは、ボールと自分の動きと環境という複合的な要素が複雑過ぎて、制御が難しいからである。

「繰り返す」というのは、自分が頭の中で考えている通りに世界を操ることなのだ。
繰り返す回数というのは、世界を自分の中に構築するコストに比例する。
すなわち、繰り返す回数が多く必要なことほど、反自然的と言えるかも知れない。反自然的なことは、自然に逆らっていることなので自然に帰ろうとする。

例えば重力や摩擦に逆らうことを考えてみる。空を飛ぶことは重力に逆らうことだし、車を走らせることは摩擦に耐えることである。これらはエンジンという繰り返すための機関を失うと直ちに無効化する。

現代社会は反自然的なことに溢れている。
世界経済を支える物流は貨物輸送によって賄われているし、貨物輸送の多くは反自然によって成り立っている。

もともと自然から生まれた我々は、社会という反自然に対応するために、繰り返し学習を強要される。
お金や、交通規則、時間、言葉、法律といった反自然的な知識を繰り返し勉強し、獲得していく。

つまり、立派な社会人というのは、立派な反自然人だとも言える。

社会人ともなれば、悪天候によって時間に遅れそうな時でも、なんとか複数の経路を使って時間内に目的地に辿り着かなければならないし、時には好きでもない相手と、長く一緒にいなければならないかもしれない。

我々は生まれてから死ぬまでの、超自然的な行為を自律的に行うまでの間、様々な反自然的な行いを繰り返しすることになる。
いってみれば、「繰り返し」は人類最大のテーマでもあるんだよね。

例えば「平和」というのは、何もない状態を長く保つことである。
自然において何もないことというのは有り得ない。人の感情にはうねりがあるし、建造物は劣化するし、消耗品は不足していく。これは自然なことだけれど、平和というのは、こういったことに対して、「平らに平均化」していく活動なのだ。
何もない状態というのは異常なのだ。

つまり、平和と非平和な状態が交互に繰り返されるのが自然なのであって、平和な状態だけが長く繰り返されるのは、不自然なのだ。
しかし、我々は平和という不自然な繰り返しを得るために最大限の努力をしている。

この繰り返しの回数が長く続くと、我々はようやくそれが当たり前だと思うようになる。ごく当たり前の日常として理解することができる。

本当は不自然なことでも、長く繰り返されて、それについて疑問を持つ人が少なくなれば、一般化するものなのだ。

つまり、量はやがては質に変わる。

例えば、人の細胞は分裂を繰り返すことで新陳代謝しているけれど、その繰り返しに失敗すると死ぬことになる。これは当たり前のことだけれど、人が死ぬと大騒ぎをするのは、多くの人はやはり人は死なないものだし、死ぬべきものではない、という一般常識が前提にあるからだろう。

話は変わって、繰り返すことで世界が成り立っているということは、この世界は

「マスタービジネス」ともいえる。
反自然的なことをあたかも自然にできるようにマスターするかがポイントだ。
繰り返しをいかに少なくし、手間を省いて、正確さを追求するかというのは、人よりコンピュータや機械の方が得意だよね。

熟練や巨匠と呼ばれる人がいるけれど、これはとてつもない繰り返しによって、人間技ではないスキルを習得してしまった人達のことだ。
技が体に染み付くまでやり込んだ結果、自分という自然的なものが変化し、不自然なことができるようになったのだろう。

こういう芸当というのは、動物には難しい。
サルに繰り返し人の言葉を教えても人にはならない。人は繰り返すことで変化を起こすのだ。
進化はしないが、変化を起こすというのは、すごい可能性を秘めていると思う。
進化というのは世代を経ないと起きないが、変化は一世代でも起きるのだ。

これは人間誰でも持っているスキルであって、同じことを、2回繰り返せば落ち着くものである。3回繰り返せば、上達するものである。10回繰り返せば、飽きるものである。100回繰り返せば、一人前である。1000回繰り返せば、他人に教えられるものである。10000回繰り返せば、なにかを悟るものである。

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