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引き寄せの法則 その1 引き寄せの法則と量子力学

引き寄せの法則とは、自分の抱いている願望が磁石のように自然と引き寄せられる現象のことです。端的に述べれば「思考は現実化する」となります。

引き寄せられるものに善悪はなく、自分が強く意識したものが引き寄せられると言われています。

例えば、「お金を失いたくない」と常に不安でいると、なぜか反対にお金を失ってしまうことになります。

日本では『ザ・シークレット』という本がヒットしたことで知られるようになりました。それ以前はマーフィ博士の『マーフィの法則』が流行ったと記憶しています。

ここで懐疑的な人は、「引き寄せ」に「法則性」があるわけがない、と思われると思います。

幸運であれ悪運であれ、引き寄せることになにか法則性があるのなら、いったいどんな法則性なのか?

当然、気になると思います。

仮に法則性があるのならば、法則を使いどんなことでも実現できてしまいそうですよね?

例えば、隕石を引き寄せるとか、アメリカ大統領になる、という到底できそうもない確率の低いことでも引き寄せで実現できるのか?

と考えると思います。

非常に的を得た疑問だと思います。

私も引き寄せという現象を懐疑的に見ていた経緯があります。

ともすると引き寄せの法則はオカルティックで、スピリチュアルであり、疑似科学(インチキ科学)に類するものと見ることが出来ます。

先ほど挙げた「アメリカ大統領になる」という引き寄せはやってみればすぐに無理であることに気が付きます。

私はスピリチュアルな人間ではなく、現実主義者です。

その私が引き寄せの法則を語るにはワケがあります。

実は「引き寄せ」という現象自体が珍しくないのではないか? という気付きがあったからです。

何回かに分けて分かりやすく説明して行きたいと思います。

例えば、引力や重力というのは物質が物質を引き寄せる現象ですよね。ニュートンが万有引力の法則を発見してから以来、我々の常識として浸透しています。

ただし、ニュートン力学では引力や重力を計算することはできても、それがなぜ存在するのかまでは解明されていませんでした。

次に現れる天才アインシュタインがその謎に着手するまでは神の法則だったのです。

これについては後に述べるとして、まずは「シュレーディンガーの猫」という思考実験のお話をします。

シュレーディンガーの猫というのは、物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーが提唱した量子論に関する思考実験のことを指します。

数式などは用いずなるべく平易な表現で説明したいので、気軽に読んで下さい。

最初にシュレーディンガーの猫が何を意味するのかを述べておきます。

この実験では、我々の世界が重なりあった状態で無限の可能性を持っていることを示唆しています。

なぜそうなるのかというと、実験の内容を知れば分かると思います。

まず、蓋のある箱を用意します。この中に猫を一匹入れておきます。

箱の中には猫の他に、放射性物質のラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておきます。

もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動します。青酸ガスを吸った猫は死にます。

しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生きています。

一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか? というものです。

まず分かることは、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定するということです。アルファ粒子が出れば死ぬし、出てなければ死にます。

では、アルファ粒子が出る確率はどうか?

アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊にともなって放出されます。

アルファ粒子がなにかはどうでもよく、とりあえずいつ出るか分からない要素、と考えて下さい。

このとき、例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率は50%だとします。

すると、この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%となります。

なぜ50%かというと、アルファ粒子が放出される確率はまったく分からないからです。出るかもしれないし、出ないかもしれないのです。

猫の生死は蓋を開けてみなければ分からない、というのがこの実験のミソです。

死んでいるかもしれないし、生きているかもしれないのです。

したがって、この猫の生死を表わすと、生きている状態と死んでいる状態が未確定なので、1:1で重なりあっていると解釈しなければならないわけです。

我々は経験上、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態という二つの状態を認識することができます。

しかし、このような矛盾した状態を確認することはできませんよね。

「生きていて、かつ、死んでいる」という状態は有り得ず矛盾しているからです。

頭の中では想像できても、現実として確認できるのはどちらか一方だけなのです。

だからなに? と思うかもしれません。

この思考実験の面白いところはどこにあるのかというと、ミクロ視点とマクロ視点では認識できる結果が異なるということです。

超微細な粒子というミクロ視点で考えると、アルファ粒子の崩壊は、崩壊する、しないという確率で表わせます。

確率は分からないので50%と仮定します。

崩壊するかもしれないし、崩壊しないかもしれない、という状態です。

ところが、巨視的なマクロ視点で考えると、猫の生死はアルファ粒子の崩壊確率で決まるわけですが、50%の猫というのは有り得ないわけです。

必ず生きているか死んでいるかのどちらかになります。

数学的には生死未確定でも、我々が認識できるのは常に生か死のいずれかの現実だということです。

ミクロでは生死半々の猫が存在しても、マクロ的には生死半々の猫は有り得ないから、もし猫の生死が確定したら、生きていれば死んだ猫の可能性はどこにいってしまったのか? という発想が斬新だったのです。

ミクロ視点では生死半々で表わせても、マクロ視点では生死いずれかとなります。

猫の生死はミクロの粒子によって決まっているわけだから、その延長にある猫の生死もミクロの延長にあるのではないか? と考えると、猫の生死半々が猫の生死いずれか一方でしか表わせないというのは矛盾してしまうわけです。

ここでどうやら、量子力学ではミクロの所作とマクロの所作では、なにかしら違いがあるのではないか? という仮説が登場します。

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