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引き寄せの法則 その4 神はサイコロを振らない

前回、この世界は実は可能性という確定されていないモヤの掛かった状態であり、私という観察者がそれを意識することで次々と確率的に存在が確定している、というおかしな話をしました。

これは実は最初に述べた「シュレーディンガーの猫」という思考実験に繋がってきます。

シュレーディンガーの猫では、生きている猫の可能性と死んだ猫の可能性とが二重に「重なりあった状態」である、という結論が導かれました。

二重スリット実験の結果と似ていますよね。

二重スリット実験ではコペンハーゲン解釈が適用されました。

コペンハーゲン解釈というのは、

・観測される前の電子の位置は、観測されるまでは決まっていない。
・電子の位置は、観測されて初めて決定される。
・観測される前の、電子の位置は観測されるまで分からないので、「可能性」として多重に存在している。

というものでした。

ここで、一番大事なポイントは「1個の粒子として観測される電子でも、観測される前では、本当に、複数の場所に同時に存在している」ということです。

もう一度強調します。「複数の場所に同時」にです。

例えば、「場所A」 もしくは 「場所B」で観測されるかもしれない電子があったとします。

もちろん、電子は、観測すると、「場所A」か「場所B」のどちらかで観測されることになるわけですが、コペンハーゲン解釈では、観測していないときは、「場所Aにあるかもしれない電子」 と 「場所Bにあるかもしれない電子」が、同時に多重存在している、と考えています。

同時に多重存在していたものが観測すると、同時に多重存在が不可能になる、こんなバカなことが実験の結果で確かめられています。

この考えを受け入れると、観測する前の電子は、モヤモヤした霧状・雲状で存在しており、「位置Aにあるかもしれないし、位置Bにあるかもしれない、位置Cに……」というように、すべての可能性が重ね合わさって、同時に存在していると考えられます。

これはつまり、ミクロでは粒子はモヤモヤした霧状・雲状で同時に多重に存在しているけれど、観測するとそのごちゃごちゃした中から、ひとつの状態が選択されてただひとつに確定(収束)するということです。

これが量子力学のだいたいのところで、このことが信じられなかったアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と批判しました。

後に超ひも理論が登場するまで謎とされてきたのです。

話は変わって、そろそろ観測がなぜミクロの世界では電子に影響を及ぼすか説明します。実は観測という手法は、「観測対象物に、『力』を相互作用させて、その影響を調べる」という方法なので、電子のように小さなものに対しては、見るという行為そのものが電子に影響を及ぼすのです。

例えば、脳内を観察するためにカメラを使うとします。

カメラは頭皮と頭蓋などが邪魔なので脳内までは見ることができません。

そこで、頭を切り開いてカメラで撮影するとどうなるかというと、脳内は撮影できるけれど、大変なことになりますよね。

被験者は死にます。もし普通の状態を観察したいのなら大変なことです。

これを普通に受け止めれば、脳内をカメラで観察すると被験者は死ぬ、ということになります。

つまり、観察が対象に影響を及ぼした結果です。

二重スリットの実験に戻って考えてみると、「一番最初に電子と関係を持つ」のは、観測装置であるセンサですよね。

シュレーディンガーの猫の思考実験でも同様にセンサです。

ではこのセンサとはなんなのか?

当たり前の話ですが、どんな仕組みだろうと、「センサ」とは、「ミクロの物質(原子とか)の集まり」に過ぎません。

なにか特別な力があるのではなく、「ミクロの物質(原子とか)の集まり」なのです。

そのことで言えば、電子銃から発射される電子と変わりがありません。

そして、この世界に起きている物理現象はすべて、「ミクロの物質の間に働く力(相互作用)によって引き起こされている」に過ぎない、とすれば、「電子」と「センサ」の間で起こることも、究極的にいえば、「電子(ミクロの物質)」と「センサを構成するミクロの物質」の間で、「力の相互作用」が起きただけ、と解釈できます。

ここで何が言いたいのかと言うと、センサという観測装置の不備や機能性が電子に影響を及ぼしたわけではない、ということです。

なんだかセンサが全ての元凶と思われていた方は残念です。

単にそんなことであればアインシュタインの悩まなかったのです。

では、この「力の相互作用」の働きによってモヤモヤしていた電子の位置がひとつに決定した、とするとまたおかしなことになります。

電子とセンサの間で起きていることは、究極的にいって、「ミクロの物質同士に、物理的な力の作用が起きた」だけに過ぎません。

ということは、「電子とセンサ」がどんな反応をしようとも、「電子」 も 「センサを構成するミクロの物質」も、「可能性のまま」であり、「電子の位置」も「センサの状態」も、決定されないことになります。

なぜかというと、電子とセンサも同じく可能性は持っているけれど、その可能性自体を決める決め手は持っていないからです。

意味分かりますか?

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