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引き寄せの法則 その8 人に自由意志はない

今回は間が少し空いてしまったので、これまでの話まとめてから新たな話をします。

引き寄せの法則とは、自分の抱いている願望が磁石のように自然と引き寄せられる現象のことで、端的に述べれば「思考は現実化する」ことです。

引き寄せられるものに善悪はなく、自分が強く意識したものが引き寄せられると言われています。

引き寄せの法則について調べるには、2つのパターンがあると思います。

まずは人の意思や意識とはなにか? ということと、もうひとつは物質とか現象とはなにか? ということです。

引き寄せの法則は、人の強い意思がその物質を引き寄せる現象を起こしている、ということなので、「引く方」と「引かれる方」に分けて考える必要があります。

最初に量子力学の説明をしたのは、引かれる方の物質にはどんな特性があるのだろうか? ということを説明するためです。

説明には、シュレーディンガーの猫の思考実験と二重スリット実験を例にしました。

端的に説明すると、量子のミクロの世界と、我々が認識するマクロの世界とでは、起きている現象が異なる、ということです。

その核となっているのが、非常に小さな粒子は確率的に動いているため、その振る舞いは確率的にしか表せない、というものです。

ミクロの世界では粒子が常に振動しており、関数にすると波動を描いているのです。

例えば宇宙から見た地球のように、静止しているかのように見えて、実は地球は太陽の周りを高速で回り、さらに太陽は銀河系を回り、また地球の衛星である月は地球を回っていることに似ています。

我々の認識できるマクロな世界のあらゆる物質は、このような小さいながらもダイナミックな動きをしています。

その影響は普段は感じることはありませんが、二重スリット実験では確かめられています。

二重スリット実験では、電子は人間が観測している時だけ粒子として振る舞い、観測をやめると波の性質を持つ、というものでした。

だるまさんが転んだ遊びのような現状が起きたのです。

そこでこの不思議な現象を解釈するために、コペンハーゲン解釈というものが考えだされました。

コペンハーゲン解釈というのは、

・観測される前の電子の位置は、観測されるまでは決まっていない。
・電子の位置は、観測されて初めて決定される。
・観測される前の、電子の位置は観測されるまで分からないので、「可能性」として多重に存在している。

この解釈が意味しているのは、粒子が常に動いているため確率的にしかその位置は求められない、つまりその積分であるマクロな世界も実は確率の影響を受けているのではないか? というものです。

人が観測するとその振る舞いを変えてしまう電子は、観測すると振る舞いが変わるというよりも、観測者の次元の方が変化(並行世界が分岐)しているらしいことが分かったのです。

実は観測者自身も粒子でできているため、ミクロで考えれば二重スリット実験で電子銃で射った電子と同じ性質を持っています。

コペンハーゲン解釈を観測者にもあてはめると、観測者は観測するまで存在は確定しない、そして、観測者の存在は観測されるまで分からないので、多重に存在している、と言えるのです。多世界(パラレルワールド)が広がっているのです。

人間を構成する微粒子がそもそも確率的な動きをしているため、その集大成である人間もまたなにかしらの影響を受けている、ということです(ただし証明も体験もできません)。

この解釈はエヴァレットの多世界解釈と呼ばれています。

エヴァレットの多世界解釈では、観測者もまた不確定な可能性であるため、観測者が観測という行為を行うと電子の振る舞いが変わるとするならば、観測者のどの部分が影響しているのか? という疑問が生じますよね。

どうやら引き寄せは人間のある部分に関係しているらしいのです。

今回はこの疑問に迫ります。

観測者を観測者たらしめている要素は何かというと、恐らくは脳であり、心だと推測されます。

では心とはにか? 心が発生するメカニズムは解明されていませんが、意思があることが前提とされています。

単に命令を理解し、命令に従うだけでは心を持ったとは言いませんよね。

自分で意思を持って行動するのが心です。

夏目漱石の名作「こころ」を読めば、こころとは非常に難解で素晴らしいものだと分かります。その心を理解する心もまた難解です。

心は未だに解明されていないテーマなのですが、ある科学者がこんな実験をしています。人間の意志について1980年代ベンジャミン・リベットという科学者が実験をしていて、人間に自由意志がない、という驚くべき結果を発表しています。

ベンジャミン・リベットに言わせると、人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいとなります。

自由意志はフリーウィル(free will)と言いますが、リベットのフリーウィル実験はこのようなものでした。

リベットは被験者に好きな時にスイッチを押してもらうように依頼しました。

被験者の脳は観測装置でモニタリングされています。

被験者がスイッチを押したくなる波形を覚えておいて、その波形が現れたら「被験者がスイッチを押したくなった」と判断するわけです。

すると、面白いことに被験者はスイッチを押したくなる前に、既に脳はスイッチを押す準備を始めていた、というのです。

しかも、1秒くらい前に始めているということを発見したのです。

場合によって7秒前に準備をはじめていたことも確認されています。

では、なにが面白いのかというと、認知レベルと脳活動レベルでは、意思の捉え方が違うことです。

認知レベルというのは、我々が主観的に考えてという意味で、普通はこのように認知されていると思います。

スイッチを → 動かそう → 動いた!

ところが、脳活動レベルではこうなっているのです。

スイッチを→動かしたいかも→動かそう→動いた!→手に指令

どこが違うかというと、動かそうとして動いたというのは一緒なのですが、動かすという実際の指令は「動いた!」と感じた(実際には手に指令を出していないので動いてない)後に出ていることなのです。

脳内では先に「動いた!」という思い込みが発生し、その後に指令を出しているので動かそうと思って指令を出して、結果として動いた! と認知するなら分かるのですが、なぜか脳は指令を出す前に既に動いた!と確信しているのです。

脳内では予言の自己成就とも言えるような現象が起きているのです。

哲学の古典的な疑問として、こんなものがあります。

「手を上げる」という動作から「手が上がる」動作を引き算するとなにが残るか?

「手を上げる」というのは行為であり、「手が上がる」のは結果ですよね。

手を上げる動作から手が上がるという結果を引いたということは、手が上がらないわけだから、残るのは、手を上げようとした「意思」となります。

手は上げられなかったけど、手を上げる努力はしたようなものです。

それで、残るのは「意思」ですから、それは「自由意志」だと考えたのです。

この考えは、体の自由は奪えても、自由な意志までは奪えない、ということで人権運動へと発展して行きます。

ところが、リベットのフリーウィル実験では、人間には自由意志がある、という根拠が揺らいでしまったのです。

例えば、現代であれば脳を測定する機械は高精度になっているので、その気になれば被験者が意識する前に、被験者の行動が予測できてしまうのです。

さらに脳の特定部位に電磁波を当てると脳の活動を抑制できるので、被験者が行動する前に先回りして行動を妨害することができます。

相手の意思に干渉ができるということは、自由意志とは呼べないのではないか? ということです。

解せないのは分かります。

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