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引き寄せの法則 その9 人に自由意志はないが自由否定はある

前回は、「人に自由意志はない」「ゆらぎ」が決定している。
ゆらぎの正体は細胞内に溜まった電気的ノイズだという話をしました。
そうなると、二重スリット実験の観測者問題はいよいよ訳が分かりません。

しかし、この謎は後で扱うことにして、もう少し自由意志とゆらぎについて見ていきます。

というわけで、そもそも自由であることの条件とはなんなのでしょうか?
我々が一般的に考える自由というのは、多分こうだと思います。

1.自分のしたいことと結果が一致すること
2.自分の意図が行動よりも先に生じていること
3.自分の意図がそれ以外に影響されないこと

でも実際には、意図よりも先に脳が既に準備をしている、ということが実験で確かめられています。
しかし、それを自分で確かめる術はありませんよね。

ここで有名な面白い実験があるので紹介します。
「チューリングテスト」というもので、アラン・チューリングによって考案された、ある機械が知的かどうか(人工知能であるかどうか)を判定するためのテストです。

実験内容はまず2台のディスプレイを用意します。
テストする人はその2台のディスプレイに対して質問をします。
機械に向かって会話をするという趣向です。

1台のディスプレイは、人工知能コンピュータにつながっていますが、もう1台のディスプレイは人間に繋がっています。
つまり、被験者は人間か機械のいずれかを相手にすることになるのですが、どちらかは分からないのです。

会話を通じて機械か人間かを判定し、もし機械なのに人間だと判定された場合は、「その機械には知能がある」としようではないかという実験でした。
1950年代の論文でしたが非常に大きな物議を醸し出した論文です。

というのも、知能というのは証明ができないからです。
知能を証明するには、それを判定している人間側の知能も証明しなければならないので、「知能がある」というのは結局のところ人間の主観による思い込みでしかないからです。

非常に単純な実験だったのですが、人間の知能とはなんぞや?
意図とはなんぞや? それって思い込みではないのか? という議論まで巻き起こったのです。

例えば、イルカやクジラには知能がある、利口な動物である、だから食べるのはかわいそうだ、という論調はよく聞きますよね。

しかし、知能の表現方法が違う(我々が認知できない)だけで、一見知能が無さそうに見える動物にも知能があるかもしれないわけです。
最近の研究では無反応な植物状態の人にも意識があることが分かっています。23年間の植物状態から偶然奇跡的に回復した人が「実は意識があって辛かった」と述べています。

▼23年間植物状態と思われていた男性に実はずっと意識があったことが判明

1983年11月に自動車事故にあって以来2006年まで昏睡状態にあると信じられていたベルギー人の男性が、実はその23年間ずっと意識があったことが明らかになりました。事故当時20歳だ

この実験から発展してあるゲームによる実験が行われています。
スクリーン上に単語をいっぱい並べておきます。
被験者は画面の上部に表示された画像を判断し、その画像を表現する単語の上にマウスカーソルを移動させる、という単純なものです。

例えば、花の画像が表示されたら「FLOWER」という単語の上にマウスカーソルを移動させるというルールです。とても簡単ですね。
ところがこの実験にはトリックがあって、実は被験者はマウスを触れるけれど、マウスカーソルは動かないダミーなのです。

マウスカーソルを動かしているのは別の人で、あたかも被験者がマウスを操作しているかのように動かしているのです。
実験後に被験者に質問をします。
「あなたは自分でカーソルを動かしていると思いましたか?」

すると、まさか他人が操っているとは知らないので、「はい」と答える。

何が言いたいというと、被験者にとってのマウスを動かす「」は、実際には無かったにも拘らず、そうは思っていないので「あった」ということです。

1.自分のしたいことと結果が一致すること
2.自分の意図が行動よりも先に生じていること
3.自分の意図がそれ以外に影響されないこと

つまり、上記のことが満たされていれば、実際に自由がなくても、それを知らなければ人は「自由だ」と感じる、ということです。
「他者に制御されていることを知らなければ自由である」というのは、脳の特徴をよく表わしています。

この実験からもうひとつ面白いことが分かります。
「自由は、行動よりも前に存在するのではなく、行動の結果もたらされるもの」ということです。

どういうことかというと、いくら自分で決めた物事をするにしても、結果的にうまく行かなければ、自由だったとしてもイラつきますよね?
例えば、なにか新しくスポーツをする場合、身体が慣れていないのでうまくいかなことがあります。こういう場合、自由だといっても人は納得しません。

逆に、自分のとった行動ではなくても、他人のとった行動が自分が意図する結果にマッチしていれば「これだ!」と思ったりします。
スポーツはしなくてもスポーツ観戦で、スポーツをプレイする以上に楽しむことができるわけです。

自由というのは結果としてもたらされているのです。
結果が悪ければ、自分の行動でも他人の行動であってもイラっと来るということはないでしょうか?

普通の感覚だと、自由意志というのは「行動する内容を自由に決められる」と思われがちですが、それだけでは不十分なのです。
行動する内容を自由に決められて、なおかつ、その結果に満足しないと、いくら自由に行動できても自由とは思わないのです。

逆に人間には自分のとった行動を見て、その行動が思い通りだったら、遡って自由意志を感じる性質があります。これは重要なポイントです。
脳は手を動かす前から準備していて、手が動いたら「動いた」と感じるのは、結果として手が動いたからそのように感じているのです。

直感に反すると思いますが、自由というのは「未来」に向かって開かれているように思えますが、実際には「過去」に向かって感じられるものなのです。

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